スパイラル・システムズ株式会社

 
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社長ご挨拶

 
スパイラル・システムズ株式会社 代表取締役 二村泰正
スパイラル・システムズ株式会社
代表取締役  二村泰正
インターネットとの出会い
 1995年1月、私の所属している教会(The Salvation Army)からボランティア募集の案内が来ました、この教会(キリスト教)の総本部はイギリスで、日本の本部は東京にあり、 国内で50教会、20の福祉施設及び病院を運営しています。 また、東京都と大阪府からはそれぞれ一箇所ずつ福祉施設の管理運営の委託を受けています。 

 内容は阪神大震災で、たまたま神戸教会が倒壊しなかったため、ここを基点として食料などの配給を行うというものでした。 
今まで本格的なボランティア活動をしたことがなかったので一度はと思っていました。

 たまたま3月末に時間が取れたため、早速応募しました。
到着してそのすさまじさにさすがに圧倒されてしまいました。
その日から、とにかく忙しい、しかし充実している、こんな経験は今までになかったし今後もなかなか無いと思います。 

 半分傾いた教会と給食車、レンタカーのトラック、給食車は街頭給食専用に作られた教会のトラックで東京の日本本部から回送されて来ていました。
 中の設備を運び出せば、トラックの大きさのバンというような車です。
人間も全国から集まってくれました、全国のYMCAなど、また日本のアメリカンスクールからは校長が学生を引率して来てくれました。 
 全国から市役所に届いた衣類や食料などを各基地に分配するトラックが毎朝到着します。
時計
 これを受け入れ、配れるように分配作業を行う人たちに渡します。
前日用意した荷物をトラック2台に積み込み、被害がひどい被災地に持って行って配ります、配り終えて戻ってくると、またトラックに積み込んで持って行く。
 夕方、翌日持って行く物の準備と必要人員の手配を行う。 
このようなことを毎日繰り返すのですが、そのうち古着が山のようにたまってきました。 

 全国から善意の品物が山のように届きます、市役所からは毎日トラックで送られてきます。 
 しかし、被災者の方で必要がないため、毎日毎日ダンボールの山が増えていき、受け取り手が無い荷物が山のようになって置く場所が無くなるありさまです。近くに急ごしらえの倉庫を借りてもまだ足らないくらいでした。
 
 この反面、ほこりがすさまじいため、ウェットティッシュなどの必要なものはまったく足らない状態です。
しかし、この現実がまったくどこにも広報されずに、善意の古着(古着といっても新品同様で、一度着たものはクリーニングに出された状態)が続々と到着します。 
 この時は役所や新聞、テレビに頼らず、個人のチャンネルで何とか細かな情報を発信できればと痛切に思いました。 

 活動の期限が終わり、身も心もほっとして帰りの新幹線に乗ったのですが、車内でたまたま読んだ週刊誌にインターネット特集という記事がありました。 
 何気なく読んでいると、気象衛星が写した写真がインターネットで配信されている写真が載っていました。
地球儀 アメリカでは個人がホームページで情報発信をしている様子が紹介され、日本もインターネット時代が来ると言うような事が書かれています。 
 これを読んで、『日本でも近い将来個人で情報を発信できるかもしれない、アメリカではすでにあたりまえになっている』と、強烈に頭に焼きつきました。
これが私とインターネットとのはじめての出会いです。 
 
インターネットで最初の通販
 私はクラシック音楽が好きで、CDやレコードを1,000枚近く持っています。 好きというよりも、むしろ『オタク』といったほうが早いかもしれません。 
 また、北九州交響楽団というアマチュアのオーケストラで20年近くヴァイオリンを弾いていました。
 とにかく演奏会が多くて、定期演奏会は年に2回、春と秋、夏にはサマーコンサート、その間に学校や市から頼まれた演奏会と、2ヶ月に一回は演奏会を行っているような団体です。 

 ここで、20年近くやっていると、何か役をやれということで、ステージ係やインスペクター(『団の取りまとめ役』というと格好が良いのですが、実際には雑用なんでも係)を行いました。 
 年に3回は東京から指揮者を招いて演奏会を行うのですが、インスペクターをやっている時、東京から若い指揮者を招きました、指揮者の接待もインスペクターの重要な役です。

 練習が終わったあと雑談をしていたときに、私がコンピューターの会社をやっているというお話をすると、レコードやCDが5,000枚以上有り、『何がなんだか分からない、管理するようなソフトは作れないだろうか』との事。
 データーベースを専門にしている会社ですから、簡単ですよと言ってチョコチョコッと作ったのがCDマイスターです。 
 実際にはチョコチョコットというわけではないのですが、 CDの最初の(イントロ)部分がデーターベースに録音でき、パソコンでどんな曲だったかが聞ける。 
CD 今ではあたりまえですが当時は画期的(自画自賛)な機能を持っていました。
この開発が終わりに近づいた頃、ちょうど富士通の代理店会があったので出席しました、 内容は、九州地区の売上の良い代理店の表彰、販売事例セミナーなどです。 
 この販売事例セミナーの中で、当時九州では初めてと思いますが、インターネットのホームページ作成を行った会社が紹介されました。
 そのセミナーで強く記憶に残っているのは『Windows95が出荷されると、誰もがインターネットに簡単に接続できる』
 ホームページはデザインが大切で、これでお客ともめた時、頭ぼさぼさの髭もじゃのデザイナーが出てきて、『ウーン』としばらくうなった後

『このデザインが一番良い!』

という一言で発注者は納得する。

まさにインターネットの夜明け前という感じです。

 話はCDマイスターに戻りますが、さあ販売しようと思ってコスト計算したところ、大変なことになってしまいました。 
 ソフトはインストールフロッピー4枚ですが、このたったの4枚のフロッピーを売るためのコストたるや、莫大なものでした。 
 操作はヘルプファイルを見れば分かるようになっていますが、格好をつけるためには
色鉛筆・きれいに印刷した箱が必要。
・取扱説明書の印刷が必要 
・量販店に頼めば、仕切りが厳しい
そこで、インターネットで手軽に販売ができないか、と考えました。

どのように販売を始めたのか?
 当時は『Windows3.1』の時代で、インターネットに接続する事自体大変でした。
 プロバイダーと言うインターネットに接続する会社があるらしいということで、何とか探して、契約書を送ったら、一ヵ月後にようやくIDとパスワードが送られてきました。
 14.4Kbというモデムを購入しました。今では考えられないような遅さです。
『モザイク』というブラウザーが唯一販売されていましたので、東京の秋葉原から取り寄せました。
一応、インターネットに接続でき、ホームページを見ることは出来るようになりました。 しかし、アクセスポイントが北九州市にはなく、接続のたびに福岡市まで市外通話です。
 電話代がいっぺんではねあがってしまいました。   
ホームページの掲載や販売の統計などを行うサーバーを探した結果、日本ではまだ無く、ようやくアメリカのフロリダでサーバー会社を見つけ、契約しました。 

  このときは、私も完全なコンピューター屋さんの発想でした。
主に考えたことは販売したあとの管理ばかりです。
・売上データーをどのように自社の販売管理に結び付けたら良いだろうか。 
・経理システムにはどのように結び付けたら良いだろうか。
コーヒーシステムも整い、あとはコンピューターが寝ていても売ってくれる。
月に200や300の受注があてっも大丈夫。
意気込んで、販売を開始しました。

一応、ホームページにカウンターをセットし10日ほどしてカウンターを見たら、なんとアクセス件数が10件でした。
これは、自社で見た分だけで、誰も見に来ていないのではないか、何か違う、10日間でお客0とは。

 そこで、インターネットでどのようにホームページを見に来るのか、徹底的に勉強しました。
 インターネット通販の本は、当時私の知る限りでは一冊しか出ておらず、著者に会いに行き、いろいろお話もお伺いました。
 検索サイトへ登録すると良い、さっそく実行しましたが、結果は月に50人しかページを見てくれません。 

 これでは売れるはずがないのです。
そうこうするうちに、1995年も終りに近づき、Windows95が出荷され、ネットスケープも出荷されて日本も遅ればせながらインターネット時代に突入しました。 
 このように、悪戦苦闘しているうちに、インターネットで通信販売を行う上で必要なことが少しずつ見えてきました。インターウイン
 この経験を生かして、ホームページ作りからインターネットでの販売まで、一貫したシステムが出来ないのか、と考えて作ったのがインターウィンです。

サーバーの移転
 1997年11月突然当社のお客様のホームページが表示されなくなりました。
原因を調べた結果、アメリカの大統領選挙で、アメリカでは選挙結果をインターネットで見る人が集中し、インターネット回線がパンクしてしまい、当社だけでなく、日本からアメリカへの接続は軒並みダウンしてしまいました。 
 考えてみますと、当社のサーバーは当時フロリダにおいていました、フロリダといえば、アメリカの東海岸ですから、インターネット回線はアメリカ大陸を横断しています。つまり一番条件が悪いところにあるわけです。
 
 検討の結果サーバーをアメリカのデンバーに移しました。
日本では、ようやくIIJ(インターネットイニシアチブ)以外のプロバイダー会社がぽつぽつと出だしたくらいで、日本にサーバーを設置することは考えられません。
地球儀 この対策のおかげで、2001年の大統領選挙では問題なくホームページの閲覧が出来ました。
 日本でも、日本版情報スーパーハイウェイ構想が実現し、インターネット先進国になりました、それに合わせサーバーも東京のデーターセンターに移設しました。

集客が命
 話は1998年に戻ります、まだSEO等の言葉さえありません、集客をどの様にするか、お客様のサイトにどの様に誘客するか、各社ともそれが最大の課題です。 

 そのころ、富士通総研のレポートに、『インターネットでの集客にプレゼントが有効である、1000円のテレホンカード5枚(5000円)で、3000人の集客ができた』という報告があったため、早速プレゼントを行い、懸賞サイトに登録したところ、数千人の集客がありました。
 懸賞サイトに登録してもらえれば、集客が出来るが、掲載していただけなければ、集客が出来ません。
 この不安定な状態を脱却するために、2000年に当時一番応募数が多い懸賞サイトのhitgetを買収し、応募者のプライバシーを尊重する弊社独自の安心応募にリニューアルし、懸賞サイトを立ち上げました、それが【hitget】です。

ヒットゲット そのころ、別の情報源から、メールの配信で再訪問率を上げたという結果が報告されました。
 早速懸賞と配信とを合体させ、会員システムとして、【インターウィン】に機能を追加しました。
まだ日本ではスパムメールなど存在しない、良き時代の頃の話です。

災害でインターネットが役に立った!
 【インターウィン】の会員システムも順調に推移し、会員数もユーザー様と当社を合わせ200万人を超えたころの2004年、新潟地震が発生しました。
 早速現地のボランティア団体と連絡を取ったところ、このころには、日本のボランティア意識は高く、人間も沢山入るし、物資も豊富だとのこと。地図
 ただ、一般の報道では行われていないが切実に必要としている人、物に、
・移動入浴車および専用スタッフ
・寝たままで入れる介護専用のお風呂
震災以来、お年寄りや体の不自由な方たちがお風呂に入れていない状態との事です。
・マッサージや介護の資格のある方
・建築士
・看護職
・インスタントカメラ(使い捨てカメラで、ストロボ内蔵)100台必要、

 被災宅の後片付け時に現状記録として必要等の情報を得ましたので、早速当社及び当社のお客様にお願いし、当社の会員にメールで配信を行いました。
 早速会員が、インスタントカメラを提供していただけるようにカメラ会社に交渉してくれたり、看護師の会員がボランティアで駆けつけるなどしていただき、私がインターネットに出会う前に行いたかったこと、【TVや新聞などで報道されていない、現地でボランティアが必要としている情報をきめ細かに沢山の人に伝えたい】 という思いが実現しました。

かんたん献立のパソコン版での総配信数500万部を達成して
献立 皆様の温かい心に支えられて、かんたん献立パソコン版メルマガ総配信数が500万部を超えました。
 これを感謝し、社会貢献が出来る記念事業を行おうと計画し 【超かんたん献立】を給食支援団体への寄付きで販売するに至りました。
 
  私たちは創業以来お客様のために、真心をもって努力する姿勢を大事にしてきました。
  創業20年を経て、これまで以上に、お客様視点での企業づくり、ものづくり、ひとづくりを徹底し、世界中のお客様お一人おひとりに、ネットを通して安心して楽しめる企業を目指して参ります。 

スパイラル・システムズ株式会社
代表取締役  二村泰正

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